蔵のまち・須坂で、10棟の有形文化財を守り継ぐ塩屋醸造

JR長野駅から、ローカル線の長野電鉄に乗り継いで電車に揺られること約25分。立派な白壁の蔵が建ち並ぶ石畳の道を17分ほど歩くと、「味噌醤油醸造元 塩屋」と書かれたのれんが見えてきます。

道に面して、醤油蔵と一体となった上店、門、店が並び、奥に主屋がつながり、敷地の奥には醸造蔵が。2007年には、主屋を含む10棟の蔵が国の有形文化財に登録されています。さっそく11代目の上原太郎さんに、塩屋醸造の歴史を紐解きながら蔵を案内してもらいました。

――塩屋醸造は、ここ須坂でどんな歴史をもつ蔵なのでしょうか。

塩屋醸造が大切にしているのは、味噌や醤油だけでなく「風土を醸す蔵」であることです。

須坂はもともと、明治から大正にかけて製糸業で栄えた地域です。扇状地だから川があちこちに流れていて、水路が整備されていたんですね。その水路で水車を回して、それを動力源に生糸を作っていたと。だいぶ儲かったんだろうね。信州の中でも比較的都市化が早く、皆さん立派な蔵を建てられた。

そんな須坂において、うちは名前の通りもともとは塩問屋だったんです。「敵に塩を送る」という故事があるように、海が無く山に囲まれた信州において塩は大切なライフラインでした。

そんな背景で江戸後期から塩の販売を始めたのですが、昔の塩は水分が多かったので、蔵に保存しているうちに貴重な塩が溶けてしまうと。そこで、塩を効率よく保存する意味も含めて味噌と醤油の醸造に切り替えたようです。それが約200年前かな。

蔵見学では、10棟の文化財のうち、「味噌蔵」「穀蔵」「醤油蔵」の3つをご案内しています。

「風土を愛する気持ち」を醸すため、地域に開いた蔵に

――それだけ長い歴史があるんですね。

溶けた塩が染み出た蔵の外壁

実は、味噌蔵としての歴史は浅い方なんです。なぜかというと、かつて信州において味噌は買うものではなくて自分たちで作るものでした。暖かくなってくると、一家総出でお味噌を仕込んでいたんです。「手前味噌」という言葉があるとおり、自家製の味噌が一番いいとされてきた。

だから、お味噌を切らして外で買ってきたお味噌では申し訳ないと、「買い味噌で申し訳ない」なんて言い方もされていたくらい、味噌造りは地域に根付いた食文化だったわけです。

しかし須坂では、製糸場が盛んになってくるにつれて、工場で働く人も増え、住み込みで働く女工さんも増えて、家で味噌が作れなくなってきました。そこで、味噌が商売として成り立つようになってきたわけです。

信州だからこそ貴重だった塩を売ることから商売が始まって、味噌造りの熟成に適した信州の気候と材料があり、地域の人に支えられて現代まで続いてきた。いろんな歴史の背景があるんだよね。だからこそ、受け継いできたものや地域の風土を大切にしたいし、伝えていきたいと私たちは考えています。

そうした「風土を愛する気持ち」も醸したいなという思いから、約50年ほど前に一般の方や学校向けの蔵見学と味噌造り体験を始めました。

今でこそ蔵見学や会社見学は当たり前になりましたが、うちはかなり早い段階からそういった活動を始めていました。今でも覚えているんですが、一番最初に蔵見学に参加したのは当時小学生だった私の妹だったんですよ。

木桶仕込みの天然醸造で造られる昔ながらの味噌

さて、まずはここがお味噌を熟成させるための「味噌蔵」です。春先にお味噌を仕込み、半年から10ヶ月間、この蔵でお味噌を熟成します。

――いい香りがしますね。お味噌が発酵する匂いでしょうか。

塩屋醸造では、「信州の材料を信州で醸す」ことを目指し、蔵・木桶仕込みの天然醸造で代々味噌を造っています。

お味噌の発酵・熟成に必要な麹菌、酵母等の微生物は、夏場の高温や極端な温度変化を嫌います。創業時から伝わるこの味噌蔵は、厚い土壁により、外の気温の変化をやんわり伝えてくれます。一方で、春から夏にかけてあたたかくなって、夏から秋にかけて気温が冷たくなっていく四季の移り変わりはちゃんと伝えてくれる。お味噌にとって非常にいい空間なんです。

また長年、発酵・熟成に使われた蔵には、独特の「蔵付の菌」がついています。新しく仕込んだお味噌にその菌が付くことによって、複雑な香味や味わいが増し、この蔵の味になっていくわけです。

コンサート会場やイベントスペースとして蔵を活用

次に、こちらが「穀蔵」です。ここはかつて大豆や穀物を保管していた蔵です。壁には当時の在庫管理のメモ書きが残っています。

塩屋醸造では、良質の原料を安定的に確保するために20年前より原料大豆の各地契約栽培に力をいれており、現在定番のお味噌はすべて長野県安曇野市、JAあづみ産の契約栽培大豆「ナカセンナリ」、JAあづみ産契約栽培米「こしひかり」を使用しています。

現在はこことは別の新しい倉庫に大豆やお米を保管しているのですが、せっかくの蔵をそのまま閉じておくのはもったいないので、レンタルスペースとして貸し出しをしています。人が出入りして空気が流れると、新しいドラマが生まれますし、蔵も生き生きして傷みづらい気がするんです。

地元のピアノ教室のコンサートや、一人芝居の舞台、楽器を持ち寄ったセッションなど、幅広く活用いただいています。木造だからか響きがいいらしく、「音がシャワーのように降ってくる」と好評です。

――使わなくなった場所をそのままにせずに、地域にひらいた場として活用されているんですね。

ほかにも、地域の方から譲り受けたものもここに一部保管しています。たとえば、こちらは私の母校の椅子です。奥にあるのは、製糸業で栄えていた時代のトランクですね。船でフランスのマルセイユまで海外出張に行っていたようで、当時のタグがまだついているんです。

ご近所さんが「蔵を掃除したら出てきたんだけど、使わないから捨てる」と話していたので、「これは貴重な地域の文化財だから捨てちゃダメでしょう」と、うちのお味噌と交換して譲ってもらいました。ほかにも、かつてうちで醤油を量り売りしていた時代の徳利なんかもありますよ。

――まるで博物館みたいですね。

地域の方から「これ塩屋さんのでしょう」「こんなものが出てきたんだけど、どうしよう」と、歴史を感じるいろんなものが集まってくるんです。古いものにはやっぱりストーリーがあるじゃない。大事にしたいですね。

世代を超えて、蔵がつないできたご縁

こちらが「醤油蔵」です。「もろみ蔵」から持ってきたもろみをここで絞っていきます。 

基本的にお醤油の原料は大豆と小麦です。そこに菌をつけて醤油麹を造り、食塩水に入れて1~2年かけて熟成させる。それがもろみの状態です。弊社の絞り器は、明治時代から修繕を重ねてずっと使っています。

「醤油蔵」の奥のスペースも、「穀蔵」同様にレンタルスペースとして貸し出しをしています。蔵見学後にここで甘酒やお味噌汁を振る舞ったり、レクチャースペースとして小学生向けにビデオを流しながらお勉強していただいたり。テーブルや椅子は、どれも味噌の樽や蓋を活用して作りました。ここにも、地域の方から集められたものを並べて展示しています。

ほかにも、地元の高校生がここでダンスバトルを企画したり、ブレイクダンスの大会の会場が開かれたりしたこともあります。私どもとしても、「蔵にそんな使い方があったのか!」と日々新しい発見があり、とても面白いです。

「子どもの頃に蔵見学をした」という方が大人になってからまた遊びに来てくれたり、お子さんを連れてきてくれたりすることもあります。ちょっとスパンが長すぎるマーケティングかもしれないですけどね(笑)。

文化財を修繕しながら維持していくことも、毎日蔵見学をするのも簡単なことではありませんが、本当にそのおかげで意外なご縁やつながりが増えていきました。蔵に感謝ですね。

「信州味噌の名工」が手がけるこだわりの味噌

――最後に、この記事をきっかけに、「塩屋醸造の味噌を食べてみたい!」という方に向けて、オススメの味噌や食べ方を教えてください。

まず、江戸時代の製法そのままに、「みそ玉」から作っているお味噌が「玉造りみそ」です。ひとつずつ手造りされたみそ玉は、創業時から伝わる味噌蔵で熟成される間に、蔵に住む酵母や乳酸菌が付きます。蔵付の菌と麹菌が醸す玉造味噌は複雑な香味と旨み、ほのかな酸味が特徴です。シジミやアサリなど貝類のお味噌汁におすすめです。

最も親しまれている定番品が「こうじみそ」です。味噌造りは麹が命です。仕込みにあたって、職人が最も神経を使う作業が米麹造り。また、伝統的手法の「味噌玉造り」を守りながら、職人の技術の研鑽に努めており、弊社の杜氏・小林秀久は「信州味噌の名工」として表彰されています。丹精込めて造った米麹を贅沢に使っているのがこちらの「こうじみそ」。大豆の旨みと米麹の甘みのバランスが絶品です。

信州ならではの人気のおみそが、「えのきみそ」。半年ほど発酵させたお味噌に米麹とえのき茸ペーストを加えて再発酵させるという、贅沢で手間のかかった製法です。えのき茸の旨みたっぷりなので出汁いらず。キュウリなどの夏野菜にもよく合いますよ。


地域の歴史と共に変化を続けてきた塩屋醸造。代々蔵を守ってきた作り手の温かな人柄と、風土を愛する気持ちが醸し出す蔵の空気は、実際に足を運んでこそ味わえるもの。

須坂のまちを歩いて、実際に自分の足で訪れてみてください。作り手の思いに触れてから口にする味噌や醤油の味わいは、きっと特別なものになるはずです。

公式ホームページ:http://www.shioya.co.jp/

公式オンラインショップ:https://www.shioya-store.com/