「商売としては成り立たない過疎が進む地域への配達を今も続ける理由は、創業から桑田醬油を支えてくれたお客様への恩返しやね」
そう話してくれたのは、桑田醤油3代目の桑田浩志さん。
マルクワのマークが目印の軽トラックで、山奥に住むほんの数件のお客様の自宅まで醤油を配達します。
桑田醤油は山口県防府市、防府天満宮のふもとにある小さな醤油蔵。創業以来ずっと変わらない木桶仕込みで、地元に愛される醤油を造り続けています。
約100年使い続ける木桶で仕込む桑田醤油は、どっしりと旨みが強い点が特徴。
「この味じゃないと困る」と防府市の人たちは話し、地元スーパーの調味料コーナーには桑田醤油の商品がズラリと並びます。メディアでも度々取り上げられ、地元の人たちは「防府の醤油と言えば桑田さん」と誇らしげです。
桑田さんはどんな想いで地元の味を守り続けているのか。桑田醤油の魅力を探りに蔵元を訪ねました。
創業から100年近く桑田醤油が守り続ける昔ながらの木桶醤油
桑田醤油は「自然の力を信じる 時間と手間を惜しまない」醤油造りを大切にしています。
蔵の奥には、100年以上使い込まれた木樽が並びます。桑田醤油だけの唯一無二の味を生み出しているのが、この木桶や蔵の壁にびっしりと付く蔵付きの菌たち。
蔵に空調設備はなく、山口県の気温や湿度そのままの環境下で、びっしりと菌が付いた木桶のなか、1年半以上かけて旨みの濃い醤油が生み出されます。
「うちの醤油は味がブレる。そうじゃなきゃ嘘になる」
ステンレスタンクを使い温度管理された醤油は、ブレのない品質と味を保つことができますが、木桶で仕込む醤油は「毎年味が変化して当然」と桑田さんは言います。
「今年は暑かった、湿気が多かった、冬は寒かったって、毎年気候が違う。木桶に住む菌の構成も日々変化している。だから、毎年味が変わって当たり前。お客さんにも『うちの醤油は味が多少ブレますよ』と言ってます。そうじゃなきゃ、嘘になるからね」
桑田醤油の醤油造りについて尋ねると、その答えは「あくまでサポート」。
「主役は、蔵に住み着いている菌。彼らが気持ちよく仕事ができるように、サポートしているだけ。良いパフォーマンスをしてくれたら良いものができる」
木桶醤油を作る醤油蔵にとって、長い年月をかけて蔵に住み着いた菌は宝物。「どんなに凄い研究機関でも、全く同じ味は再現できないはず」と、桑田さんは言います。
「まだこの醤油を使えるね」という地元の声が原動力
桑田さんが跡を継いでから、業績を伸ばし続ける桑田醤油。地元山口県の大豆と小麦を使用した「オール山口」の丸大豆醤油をはじめ、新鮮密閉ボトルや防府天満宮とのコラボなど、新商品を打ち出し、新たなファンを増やし続けています。
桑田さんを突き動かす地元の人の声
今でこそ地元防府市では置いていないスーパーはない桑田醤油ですが、桑田さんが受け継いだ当初は「10年のうち8年が赤字」という危機的状況でした。
桑田さんは、元々は東京で働くバリバリの営業マン。早朝から終電まで働き、起きている子どもと会えるのは週末だけ。当時を振り返って「人間じゃない働き方だった」と言います。
跡を継いだ当初、醤油蔵での自身の給料はサラリーマン時代の3分の1以下。
帰ってきて初めて知った醤油蔵の赤字経営と、あまりの落差に「親父にだまされた」と言い、長靴を履くのも嫌だったのだそう。
厳しい状況のなか桑田さんの原動力となったのは、昔から桑田醤油を使い続ける地元の人たちの声でした。
軽トラで片道40分かけて配達に行く「恩返し」
今でも桑田さんは、車で片道40分かけて限界集落がある山奥まで醤油の配達に向かいます。
各家庭の醤油の減り具合まで把握し、おじいちゃん、おばあちゃんと世間話をして帰るのだそう。まさにサザエさんに登場する三河屋のサブちゃんと同じ昔のまま。
桑田さんが子どもの頃は、1tトラックで足りず午後から2回目の配達に向かっていましたが、今配達するのはわずか30本ほど。
「昔は人がたくさんいて、お店があったりラムネを貰ったりしていた。当時、うちを支えてくれた人たちがお年寄りになって、調味料も買いに行けないし話し相手もいないんだ」
「配達先で『帰ってきてくれたから、まだこの醤油が使えるね』って言って貰えて、『やるぞ』って思えた。配達は、桑田醤油を支えてくれた人たちへの恩返しかな」
お年寄りにとって、桑田さんはいつまでも子どものような存在。面倒見のいい桑田さんの訪問に、喜ぶお年寄りの顔が目に浮かびます。
支えとなった木桶職人の仲間の存在
桑田さんにとって「木桶復活プロジェクト」の仲間の存在も、支えになっていると言います。
「勉強会を開いたり、情報共有をしたり、小さい規模の醤油蔵同士、助け合って木桶醤油を伸ばしていこうよって協力し合う存在」
「木桶職人ってつくと、箔がつくよね」と話し、山口県の醤油蔵のなかで「桑田醤油をこのプロジェクトの一員に選んで貰えたのはとても光栄」と桑田さんは言います。
プロジェクトの活動をきっかけに誰もが知る有名店でも使用されるようになり、日本全国からの問い合わせが増えたのだそう。「桑田さんの醤油は入れすぎると他の味を食っちゃう『やんちゃ坊主』」と言われたと嬉しそうな桑田さん。
様々な雑誌で料理人からも紹介され、「頑張ってきてよかった」とこぼします。
プライドを持って造り続ける地元の甘い醤油
桑田醤油は、木桶で仕込んだ丸大豆醤油だけでなく、混合醸造の醤油も手掛けます。
甘味料やアミノ酸が入った醤油は、使い慣れない地域では敬遠されがちですが、甘い醤油を好む山口県では昔から欠かせない調味料。
「もし、うちのレシピが流出したとしても、うちと同じ味はどこにも作れない。蔵に住み着いている菌が違うから」
甘味料などはg単位で管理され、木桶醤油を邪魔せずおいしさを引き出す桑田醤油だけのレシピ。このおいしさは、木桶醤油がベースになっているからこそ。
山口県の防府市で長年愛され続けてきた味に「プライドを持ってやってる」と桑田さんは言います。
好みの味は家庭ごとに違うから
小さい醤油蔵にとって昨今の原材料の値上がりは厳しく、特にアミノ酸は2倍近くまで価格が高騰し、現在では本醸造醤油よりも原価が高いのが現状。
それでも、この味を守る理由は「この味が好きだ」と言ってくれる地元の人たちがたくさんいるから。
「人気の醤油が誰にとっても『おいしい』とは限らないよね。家庭によって好みが違うのが当然。だからこそ、いろんな嗜好のお客さんが『うちはこの味』って言える醤油を提供したい」と桑田さんは言います。
桑田さんの目指す「いい醤油」は家庭に馴染む味
最後に、桑田さんにとっての「いいお醤油」とはどんなものか尋ねました。
「醤油って調味料だから、つけて食べるからおいしいもの。縁の下の力持ちであって、家庭の味をサポートしてくれるのが『いい醤油』なのだと思う」
「桑田醤油は種類が色々あるけど、『どれがベスト?』と聞かれても答えられない。ひとつ選んだら他を否定することになるからね」
どの醤油もひとつ残らず自信作。「調味料として、自分の好きな味をみつけて貰えたら嬉しい」と話します。
地元に寄り添い支え合うことを大切に
醤油とは関係なく、西日本豪雨や熊本地震など災害時には息子さんも連れてボランティアに駆けつけた桑田さん。「よし、行こうか」の一言だけで、被災地に出向きます。
「凄いお金持ちみたいにポンっと寄付できたらいいんだけど、お金が無いから体を動かすだけ」と冗談交じりに話します。
防府天満宮とのコラボでは、許可を取りに行くと「桑田さんならいいですよ」とあっさり許可をもらったという、地元防府市での桑田さんの信頼度の高さ。
そんな桑田さんの人柄も、桑田醤油が地元で愛され続ける理由のひとつ。
「この味がいい」と言ってくれる地元の声がある限り、桑田さんは軽トラを走らせ地元の声に応え続けます。